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校長メッセージ

聖ドミニコ学院小学校
校長

土井 智子

聖ドミニコ学院小学校 校長 土井 智子

待つということ(待降節を通して) 2022年12月

現代社会は、待つことを良しとしないようです。例えばエレベーターに乗り込むと、すぐに閉のボタンを押す姿が見られます。電車やバスの遅延でイラつき、時間通りに進むこと、物事をスピーディーに進ませることが良いとしているように見えます。そんな中で、学校教育の現場では子供たちに、しばしば待つことを求めます。「お友達の用意が終わるのを待つ」「並んで待つ」「自分の順番になるまで待つ」「全員が席につくのを待つ」「教師の指示を最後まで聞く(まで待つ)」…様々な場面で子供たちは逸る心を押さえ、相手が終わるのを待ちます。本校でも、子供たちに『待つ』ことの大切さを日々の学校生活の中で説き、『待つ』ことを子供たちに求めています。実際、待つことができるようになった子供は、優しい行動をとれるようになります。上級生が下級生のお世話役をする時、拙い手つきで靴紐を結んでいる様子を見守っていたり、最後まで相手の話に耳を傾けていたりと、辛抱強く相手にあわせます。本校の一日入学に参加した園児の保護者の方々は、担当した56年生にとても良い印象を持ったと話してくださいます。「幼い園児に目の高さを合わせて接してくれた」「園児への目配り・気配りに感動した」「言葉かけひとつとっても優しい」等々。誰かから言われたわけではなく、自分の考えで動く56年生の姿を見ると、良く育っていると思います。「待つ」ためには、強い心が必要です。堤未果氏の著書「デジタル・ファシズム」にとても興味深い指摘がありました。

今の教育は先生だけでなく、親も待てなくなっている。待てないからすぐに結果を求め、それを子供が出せないと、自分自身まで責めてしま う。…社会全体が待てなくなっている。

待降節は待つ期間です。クリスマスを迎えるまでの4週間を、キリストの降誕を待ち望む期間として準備をします。カトリック校に学ぶ子供たちは、待降節の期間中にユニセフについて学び、「ハンド・イン・ハンド」募金活動を家庭の中で実践します。また、自分の生活を見直し目標に向かって実行する「努力の捧げもの」を続けます。イエス様の御誕生を待ちわびたイスラエルの人々のことを想い、自分たちの心にイエス様を迎える準備をします。『待つ』先には希望があることを、毎年待降節に実行を伴う祈りを通して子供たちは実感していきます。

翻って現代社会を考えると、待たない、待てないことから多くの問題が生じてきていることに気付かされます。自分中心に物事を進めようとするとき、相手の事情に対して気にかけません。自分にとって都合の良いことばかりを求める時、人間関係が崩れ、寂寥感が漂います。豊かさは、相手を待つゆとりから生まれてきます。スピードこそが価値を持つ世界観は、考え方や捉え方の問題であることに気付くことで、『待つ』にシフトチェンジできるのかもしれません。子供たちと共に、待降節を文字通り「待つ」期間にしていきたいと思います。

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