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校長メッセージ

聖ドミニコ学院小学校
校長

土井 智子

聖ドミニコ学院小学校 校長 土井 智子

ロザリオの月に寄せて 2020年10月

カトリック教会では、10月をロザリオの月とよび聖母マリアにお祈りを捧げます。カトリック中央審議会のHPに、このロザリオの月について説明が載っていますが、ロザリオの信心は聖ドミニコがマリア様から啓示を受けたのが始まりとされています。聖ドミニコ学院に集う私たちにとって、10月は大切な月です。
その10月を前にした宗教の時間に、6年生と「祈り」について学びあう時間をとりました。ロザリオをテーマにして、祈りについて考えをまとめたり、自分の祈りを書いたりするという活動です。小学校入学の時から、朝の祈り、食前・食後の祈り、帰りの祈りを続けている6年生が、祈ることに対してどういう考えを持っているのかとても関心がありました。本校はミッションスクールですから、祈るときはキリスト教の祈りを唱えますが、信仰を強制するものではないことは常々伝えています。自分を超えた絶対なる存在に思いをはせることによって、目先の損得や時代の価値観に左右されない「真理」に基づいた行動がとれるようになることを目指しているから、仏壇や神棚で手を合わせることも祈りであることを話しています。
さて、祈りについて6年生は様々な思いを持ち、考えを記していました。

・祈りとは唯一神様と話したりあやまったりすることができる時間。
・祈りとは神様と対話することです。祈りとは神様に相談する時間。祈りとは神様を信じる人しかできないこと。祈りとは神様と心がつながる時間。
・…私たちを見捨てない神様の愛が与えてくださっている恵みを思い、感謝すること。
・…神と一緒に自分と向き合い、自分の良かった所や悪かった所を見つけ、反省しもっと良い自分になるように努めるための会話。
・祈りとは神と話をすること、そして神の言葉一つ一つを聞き入れ、受けとめることである。

決められた言葉を唱えることを祈りとした児童は誰もいませんでした。それぞれが自分の言葉で「祈り」について記し、「自分の祈り」を書いた児童は、自分の内面を見つめ、また他者への思いを綴っていました。「祈り」に寄せるピュアな感性に触れて、改めて6年間という時間の大切さを感じました。「祈る」ことが日常生活の中で行われていることの大切さは、言葉では言い尽くせないものがあります。自分の判断が正しいといえるのか、自分の行為が他の人のためになっているか、感謝の思いで人と接することができたか、そうしたことを自分中心の考えからではなく捉える経験を重ねています。
祈る習慣を持つことは、人生をより豊かに思いやりあふれたものとすることでしょう。ドミニコに集うことが、祈りをより身近にすることにつながっていければと願っています。

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