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校長メッセージ

聖ドミニコ学院小学校 校長
土井 智子

聖ドミニコ学院小学校 校長 土井 智子

絶対ということ(又はお鍋の話) 2022年9月

「絶対忘れないでね。」「約束したから、絶対だよ。」子供たちの他愛のない会話の中の『絶対』という言葉が耳に残りました。子供たちは、絶対という言葉を使うことにそれほど躊躇しているようには思えません。もちろん私たち大人の日常会話の中にも、『絶対』という言葉がないわけではありません。

でも世の中で交わされる言葉の『絶対』の中身は、その場限りのことが多く、儚いということもまた事実です。

 

30年以上前の私的な話です。ある時、自宅に鍋のセールスマンがやってきて、鍋セットの営業をしていきました。鍋の機能がどれだけ素晴らしいか実演を交えて説明し、「このセットを購入すれば料理のレパートリーも広がり、新しい鍋を購入する必要は一生『絶対』ない。家族の健康のためにもなるし、手入れが楽なのでストレスもかからない。」と強く勧めてきました。大概のことは忘れてしまうのですが、この時のセールストークはあまりに見事だったので、鮮明に覚えています。その上鍋としては高額だったので、「清水の舞台から飛び降りる」まさにその感覚で、鍋セットを購入しました。鍋は、かなり満足のいくものでした。確かにもう新しい鍋を買うことは 『絶対』ないだろうと思いました。

けれども、10年ほど前にこの鍋セットを、手放すことにしました。もちろん鍋ですから使えなくなったわけではありません。当時説明された効能が違ったわけではありません。一生モノにはならなかったのは、環境が変わったからです。「鍋は、直火専用のものでIHに対応しなかった」というのが理由ですが、販売当時、セールスマンはガスコンロ以外での使用を考えていなかったと思います。それこそ、2000年前から鍋は直火にかけるものだったのです。直火の料理形態が変わることはないと考えたとしても、誰も責めることはできません。

 

目まぐるしい時代の変化の中で、私たちの思いや考えが追い付かないことがあります。『絶対』と信じていたがゆえに、裏切られた思いを持ったりします。けれども、そもそも人間のつくるもの、人間同士の関係に絶対というものはなく、『絶対』とは神の領域であることを私たちは思い出さなければなりません。人間を超えた絶対なる存在(ミッションスクールである本校では「主なる神」として子供たちに伝えています)の前で、謙虚になることをあらゆる経験を通して私たちは学ぶ必要があります。勝手な思い込みや解釈、自分たちの浅い経験則から導き出して物事を判断していくことの危うさに気付くことで、人は素直になることができます。人がつくる物や関係、約束事を『絶対』なものとして思考判断することをやめるのではなく、謙虚な気持ちをもって出来事や物事に当たることを日々心掛けていきたいと思います。

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