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校長メッセージ

聖ドミニコ学院小学校
校長

土井 智子

聖ドミニコ学院小学校 校長 土井 智子

名言(迷言?) 2023年11月

子供の言葉に、「名言(迷言?)だ」と唸らせられるものがあります。言った本人は、すっかり忘れてしまった言葉でも、聞いた私たちは永く記憶に残るものがあります。もう随分前のことで、時効だと思うので、その名言(迷言?)とエピソードをお伝えしましょう。尚、登場するS君本人の名誉のために…彼は現在40代半ばを超え、立派な大人として社会で活躍しています。

 

そのころのS君は、中学年のちょっとやんちゃな少年でした。友達とのトラブルも多く、自分の考えが通らないと地団駄を踏んで悔しがります。その時も何か気に入らないことがあり、腹立ちまぎれに物に当たったりしていました。担任が落ち着かせながら、どうしてそのようなトラブルになったかを順を追って伝え、考えさせました。さすがに自分の(これまで)やったことに思いを巡らすと、周りの友達が腹を立てることも仕方がないとS君も気付いたようで、少し考えた後で「みんな、僕のやったこと忘れてくれればいいのに!」と言ったのです。ようやく気付いたかなと担任が思っていると、続けて「でも僕は、みんなのしたことは絶対忘れない」と言い放ったのです。

さすがにこれだけストレートな自分勝手発言は珍しいので、今でも記憶に残る「名言(迷言?)」なのですが、ふと自分の日常を顧みると全く同じ思考でいることが多くあることに気付きます。自分の言ったことややったことは大したことではないと思い、反対に人から言われたことやされたことを過大にとらえ、腹を立てたり傷ついたりしているのです。取るに足らない些細な出来事をいつまでも気にかけ、発せられた言葉を反芻して弱気になったりしている時、自分が言った言葉で誰かを傷つけていたかもしれないという思考は全く働きません。自分の言動を深く考えもせず、また振り返りもせず、周りも気にしていないだろうと勝手に解釈して、自分が受けたことばかり気に病んでいることは「みんなは忘れてほしい(忘れているだろう)。でも自分は忘れない。」と言っているのと同じです。なんと自分勝手な事だろうと思います。自分自身を省みると、子供の言葉から学ぶことはたくさんあります。

 

「人間は社会的動物である」とは哲学者アリストテレスの言葉です。社会的な動物であれば、自分と他を比較して物事を考えたり捉えたりすることは、当然のことです。人の目に自分がどう映るかを気にすることも、仕方のないことです。気を付けなければならないのは、その思考方法が自分を中心に回りすぎていないかどうかです。「私が、私が…」と考え始め、自分のことにばかり意識が集中すると周りが見えなくなり、結果的に自分自身を追い詰めることになります。学校という社会の中で子供たちに学ばせる大切な事は、自分中心の世界からの脱却です。友達や上級生との関わり合いの中で、自分を客観視する目を養います。キリスト教に基づく学びが、他者を尊重すること、愛をもって行動することが人間に与えられたミッションであることに気付かせてくれます。相手を思いやる気持ちを養うことが、自分中心に考えることからの脱却につながる道になることでしょう。

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